廣瀬が契約解除付の訴状を提出して、概ね2週間程度で第1回口頭弁論期日が入った。
吉田は弁論期日の前日から横浜に出てきてスタンバイし、倉橋は、当日、吉田を法廷に慣れさせるために1時間ほど前に傍聴席に座らせた。
「裁判所って、本当にテレビで見たとおりなんですね」
吉田は横浜地方裁判所の法廷に入って、倉橋に言った。
「僕、大丈夫ですかね」
「大丈夫ですよ。裁判官に聞かれたら、訴状のとおりですって言えばそれで終わりです」
訴訟手続きの場合、概ね文書主義で審理される為、第1回口頭弁論の際、相手方から「答弁書」等が出れば、原告側は「準備書面」で対抗することになるが、本件のように賃料滞納による建物明渡し訴訟のような場合、契約違反は明らかな為、相手方が争ってくる可能性は少なく、意外に簡単に債務名義が取れることが多い。
「ただ、前田さんは来ない可能性が高いですから、18ヵ月以上滞納されていることを強調して、何とか、今日、結審してくださいって言ってください。次回期日が入ると1ヵ月は後になりますから」
法廷では、別件の損害賠償請求事件を審理しており、原告が裁判官に食い下がった所、裁判官が原告を大きな声で窘めていた。
「あなたね、何べん言えば分かるの。駄目なものは駄目なの!」
かなり気の短い裁判官らしく、更に食い下がろうとする原告に「もういいや。分からなければしょうがないね。結審します。判決は2週間後、以上」
裁判官は、さっさと書類をとじると、不満そうな原告を退け、次の審理に進んだ。
「僕も、あんなふうに叱られるんでしょうか?」
吉田は、この光景を見てかなり緊張しながら、倉橋に言った。
「いや、あれは原告が悪いんですよ。請求する相手方を間違えているから、裁判にならないんです」
裁判の内容を察知し、簡単に裁判官が窘めている理由を倉橋は吉田に説明した。
「ただ、この裁判官は気が短そうだから、今日、結審してくれるかもしれませんよ。かえって有利です」
裁判官にもいろいろな性格な人がおり、時間をかけて和解を勧める裁判官もいれば、結構早い段階で結審し、単刀直入な判決を下してくれる裁判官もいる。本件のように賃料滞納による建物明渡し請求訴訟のような場合、相手方が出頭してこない時は、再度、呼び出しをかけて1ヵ月くらい後にもう一度口頭弁論を行うことが多い。しかしこれも裁判官の判断に基づく為、単刀直入に判決を下してくれるような裁判官の場合、1回の口頭弁論で終結してくれることもあるのである。
「吉田さん、落ち着いて訴状のとおりです、って言ってください」
廣瀬が不安そうな吉田に耳打ちした。
「その後、18ヵ月以上滞納している事実を明確に裁判官に言って、チャンスがあれば、吉田さんも困っていることを伝えてください」
そして裁判官のほうを上目遣いで見、続けて「あの裁判官、気短のようですから、判決くださいって言ってみてください」と告げると、ニタッと笑った。
「建物明渡し請求事件、原告、吉田浩、被告、前田はじめ」
書記官が法廷への呼び出しを行った。
「なお、被告は欠席です」
「原告にお尋ねしますが、この賃料滞納の事実に間違いはありませんか」
裁判官は、吉田に丁寧に尋ねた。
「はい、間違いありません」
吉田は気弱に答え、「訴状のとおりです」と付け加えた。
「あれ?契約書がないけど、保管してないの?」
裁判官が意地悪そうに吉田に聞いた。
「ええ、それは、権藤という人がいまして、その人から勧められてこのマンションを買いまして」
吉田が裁判官に今までの経緯を話し出した。
「最初は、15万円の約束だったのですが、いや、確かに15万円をもらっていたのですが・・・」
「あのね、聞かれたことだけ答えてください」
裁判官は苛立ちながらいった。
「契約書はないのね」
「はい、ありません」
「家賃は15万円って言ってたけど、訴状には8万円ってなってますよね」
裁判官は、さらに意地悪そうに吉田に尋ねた。
「はい、今は8万円です」
吉田は、緊張の余り真っ赤な顔でおどおどしながら答えた。
「今は、ってあなたは言うけど、訴状には当初より8万円と記載されているじゃないですか!」
裁判官が少し大きな声で吉田に言った。
「訴状の記載内容に、偽りがあるのですか!?」
倉橋も廣瀬も、傍聴人席で固唾を飲んだ。
吉田は俯いたまま、しばらく絶句してしまった。